はじめまして!マリーです。
いつでもどこでも何度でも、気軽に手話を学べるブログを目指して今日から更新していきます。
ここでは、私のプロフィールやブログを始めたきっかけを紹介します。

自己紹介

手話学習歴17年です。
関西のとある県で登録手話通訳者をしています。
地元の手話サークルで役員を務めています。
ちょうど人生の半分を手話と共に過ごしています。

手話フル(しゅわふる)について

私は幸運にも環境に恵まれ、17年も手話を続けることができました。
ですが、残念ながら仕事や子育て・介護など様々な事情で続けることができなくなってしまった仲間をたくさん見送ってきました。

手話を学ぶ場所は手話サークルや手話講習会が主だと思いますが、ほとんどが平日の夜6時半とか7時にスタートしますよね。
定時で上がれない会社員の方にとっても、夕食の支度で忙しい子育て中の方にとっても厳しい時間帯なのかなって思います。
私自身も大学の時間割との調整がつかなくなって、初めての手話講習会は半年で挫折しました。

手話は、外国語の習得と同じでネイティブスピーカー(手話の場合はネイティブサイナー)から学ぶのが上達の近道ですが、そのような環境にいない人であっても「いつでもどこでも何度でも、気軽に手話を学べる」場所があればいいなと思い、このブログを立ち上げました。

充実した(フルfull)手話ライフを送れるよう「手話フル(しゅわふる)」と名付けました。

手話表現の解説、手話単語の動画などをアップしていく予定です。
他にもここを訪れてくれた皆さんが交流できるような場を作れたらいいなと計画中。

生い立ち

手話との出会い(小学生から高校生まで)

手話との出会いは小学生の頃。
テレビドラマ「愛していると言ってくれ」を見て、初めて手話の存在を知りました。

大げさな表現かもしれませんが、この時「手話の魅力に取りつかれた」のです。
すぐさま手話の本を買いに本屋さんへ行き、夢中で手話の練習に励みました。

実はすでにこの時、「手話を仕事にする」とひそかに決意していました。
「〇〇になるには」という職業を紹介する本があるのですが、そこで手話通訳士という資格があること、手話通訳士になってもあまり働き口がないこと、そして手話通訳士は「福祉」という分野の一つの資格であることを知りました。

手話通訳士としての就職は難しそうだったので、とりあえず福祉の資格である社会福祉士を目指すことにしました。
同じ分野の仕事をしていたら聞こえない人にも出会えるんじゃないか、手話に関われるんじゃないかという発想です。

福祉という言葉の意味も分からないまま大胆に人生の決断を下した11歳の夏の出来事でした。

手話を学ぶ仲間に出会う(大学生)

手話を使う人に出会えないまま時は過ぎ、大学受験の時期がやってきました。
それでも手話を学びたいという気持ちは冷めませんでした。
社会福祉士の受験資格が得られる、かつ「手話サークルがあること」を条件に大学を選びました。

待ちに待った「手話を教えてもらえる場所」に行くことができるんだ!とウキウキしながら手話サークルに入りました。
サークルはとても楽しかったのですが、ここでも聞こえない人にすぐに出会うことはできませんでした。

地域の手話講習会にも通いました。
後期から時間割の変更により、大学の講義が終わってすぐに向かっても開始時間に間に合わなくなり、半年で講習会からは足が遠のきました。

私が3年生になった時、ついに大学の後輩に聞こえない子が入学してきました。
大学の講義にノートテイクや手話通訳などの情報保障を付けてもらうための交渉や、講義の進め方を先生方と調整している様子を間近で見て、大きな学びを得ました。
この時、傷だらけの手話通訳デビューを果たしますが、詳細は別の記事で書きたいと思います。

続けていく難しさ(社会人)

大学を卒業すると、当然のことながら大学の手話サークルには通えません。

地域の手話講習会は、途中で行くのやめちゃったからもう一度通うの気まずいな…なんて思っているうちにどんどん時間は過ぎていきました。
カルチャースクールでやってる短期の手話教室にいくつか通ったのですが、やはり長期間かつ低料金で受けられるのは地域の手話講習会しかないと、意を決して再度通うことにしました。

地域の講習会では、手話奉仕員養成講座(入門・基礎)、手話通訳者養成講座(基本・応用・実践)を出席日数ギリギリで何とか修了することができました。
その後、手話通訳者全国統一試験に合格。県の登録手話通訳となり、現在に至ります。

まとめ

最後まで読んでいただきありがとうございました!
楽しいサイトを作っていきますので、末永くよろしくお願いします。